一際輝く14番!
華麗なターン、まさになでしこのクライフ!
そんな美しいプレーと美しい容姿を併せ持つのは、なでしこジャパンの長谷川唯選手です。
なでしこジャパンの新時代のファンタジスタとしても活躍が期待される長谷川唯選手。
でも実は今時のギャルって本当!?
そんな彼女の仲良しって誰なんでしょう?
さぁ~、キックオフ!



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長谷川唯のプロフィール
「引用:https://www.legendsstadium.com/news/nadeshiko/77914/」
本名:長谷川唯
生年月日:1997年1月29日
出身地:埼玉県戸田市(生まれは宮城県)
身長:157cm
血液型:B型
所属事務所:日テレ・ベレーザ
長谷川唯の経歴
「引用:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201901240002-spnavi」
2009年 日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団
2012年1月 JFA 全日本U-18女子サッカー選手権大会で優勝(4年連続)
2012年9月 2012 FIFA U-17女子ワールドカップ出場(ベスト8)
2013年3月 飛び級でなでしこリーグに出場(日テレ・ベレーザ)
2014年3月 2014 FIFA U-17女子ワールドカップ出場(優勝・シルバーボール受賞)
2016年7月 なでしこリーグカップ優勝(2015年~2018年まで4連覇)
2016年11月 日本女子サッカーリーグ優勝(以後3連覇)
2017年1月 皇后杯 JFA 全日本女子サッカー選手権大会優勝(2014.2018年も優勝)
2016年度シーズン 3タイトル制覇
2017年3月 アルガルヴェ・カップ2017でA代表に初招集
2019年6月 FIFA女子ワールドカップ出場
長谷川唯と女子サッカーの歴史
「引用:http://sakanowa.jp/topics/7789」
1873年に日本にサッカーが輸入され、1920年に香川県でフットボールを袴姿の女性たちによってプレーされていました。
しかしその後、サッカーボールが廃棄され、女性がサッカーすることはなくなり、男子のスポーツであるとされたそうです。
男子は、1936年のベルリンオリンピックに出場しスウェーデンに3-2で勝利します。
世に言うベルリンの奇跡です。
1960年、ドイツ人のサッカー指導者デットマール・クラマー氏が来日し、東京オリンピックを目指し、男子の指導を行います。
当時の日本は簡単なパス、ボールを止める、そんな正確なプレーすら出来なかったそうです。
そこでクラマー氏はインサイドキック、インステップキックなどの基本練習を続けたそうです。
東京オリンピックでベスト8を達成し、4年後のメキシコオリンピックでは銅メダルを獲得します。
この時の戦略は、とにかく守り、ボールを奪うと、前線のウィングの杉山選手にロングパス。
そこから釜本選手にラストパスをするというサッカーでした。
いわゆる、「堅守速攻」です。
この戦略で銅メダルを獲り、釜本選手は得点王になるのです。
そして男子は日本リーグが1965年に開幕します。
しかし女子はプレーする場所に恵まれませんでした。
サッカーとは男子のスポーツであるという考え方が強いのです。
しかもその風習はまだまだ先の未来まで続きます。
1979年、初の全国大会の決勝を新聞が報道します。
その時に書かれた見出しは、
「ピンクの掛け声 ボインでボールキープ」
だったのです。
まさに女子がサッカーするものではないと言われているのです。
しかし、後に長谷川唯選手が加入する読売クラブが女子の強化を始め、1981年に読売ベレーザが発足します。
足を磨いてもワールドカップはないしオリンピックもない、まして国内リーグもありません。
そんな状況下の中で、なでしこジャパンの監督である高倉麻子さんや、ベレーザの監督であり、伊賀フットボールクラブくノ一の監督である野田朱美さんが所属しておられました。
1989年、ついにリーグ戦、Lリーグが開幕します。
そして1991年には世界選手権が始まります。
しかし3連敗で、スウェーデンには0-8で完敗しました。
当時の女子の選手たちは、Jリーグが開幕した男子と同じスポーツをやっているとは思えない環境でした。
みんなサッカーだけではとてもじゃないけど食べてはいけないので、本業の仕事をしていたのです。
しかし代表に招集されると仕事を休まないといけません。しかも代表は無給・・・。
だから野田朱美さんも職場を転々として食いぶちを繋いでいたそうです。
野田朱美さんは当時の日本のエースで栄光10番を背負っている人ですよ・・・。
そしてバブル崩壊後の日本、次々と企業がLリーグを去って行きます。
そんな頃に女子サッカーはオリンピックの正式種目となります。
そう男子がブラジルに勝利した、あのマイアミの奇跡があった時、女子も出場していたのです。
しかし結果は3連敗の予選敗退です。
エースだった野田朱美さんは代表を引退し、このアトランタオリンピックに7番を背負って出場していた、澤穂希さんが10番を継承します。
10番の継承があった翌年の1月、長谷川唯選手は宮城県で生を受けるのです。
長谷川唯の始まりとなでしこのどん底
「引用:https://www.olympicchannel.com/ja/stories/features/detail/長谷川唯-新生なてしこの象徴的な存在-多彩なテクニックて攻撃の軸に/」
長谷川唯選手は物心つく前から宮城県から埼玉県戸田市に引っ越します。
そんな頃、女子サッカーはどん底でした。
シドニーオリンピックへの出場を逃し、女子サッカーなんてあるの?っていうぐらいの状態で、注目を集めることがなくなりました。
そんな頃、男子は日韓ワールドカップが開かれ、日本中がサムライブルー一色に染まります。
そんな頃に長谷川唯選手の兄はサッカーをしていたそうで、その影響とサムライブルーの影響からか、サッカーを始めます。
しかし長谷川唯さんは青になれず、ピンクの声に包まれるばかりだったでしょう。
女子がサッカーをやるなんて・・・。
その頃の女子サッカーはどん底が継続されていました。
しかし2003年のアジアカップにて、たまたま川渕日本サッカー協会会長が視察されたことで一点します。
まさに「なでしこ」らしさである、「ひたむき、芯が強い」という言葉通りのプレーを川渕会長は目の当たりにして、これは支援しないとと思うようになるのです。
川渕会長は女子選手に要望を聞きます。
すると女子の選手は言います。
「合宿地までの交通費を前払いしてください」
川渕会長は驚きます。そんなこと・・・。
もっと海外遠征させてください。女子にも良い芝のグランドを使わせてください。スタジアムでプレーさせてください。とかではないのです。
まさに女子の環境の悪さを物語る要望です。
それで川渕会長は急いで女子サッカーに支援します。
そんな頃、埼玉県のサッカーの試合で、観客が総立ちになっていました。
それは浦和レッズの試合ではありません。
田舎の土のグランドで、しかも女子の試合で。
その1分前、人々たちは、女の子がサッカーなんてねぇ~。それにあの13番のおチビちゃんなんてもうねぇ~と井戸端会議をしていました。
それを見たおチビちゃんの母親は、何を言っているんだとムカついていました。
しかし、そのおチビちゃんがドリブルで斬り込み、自分よりも10cm以上も大きい上級生たちをグングンと抜いて行き、そのままゴールを決めてしまったのです。
だれもが、ええええええ!となり、それ見た事かと母親が言ったとか言ってないとか・・・まぁ~そんなことは言ってないでしょうが・・・・。
でも13番のおチビちゃんがグングン抜いてゴールを決めたの真実なのです。
そのおチビちゃんは、長谷川唯選手です。
そんな凄い逸材である長谷川唯さんがプレーできるプロの世界はなくなりかけていました。
「引用:http://www.jfa.jp/match/joc_womens_2018/news/00020183/」
その頃のなでしこジャパンは、澤穂希選手以外は世界水準に満たないと言われていました。
そこで当時の上田監督は、「堅守速攻」という戦略を考えたのです。
そう、あのメキシコの時のように。
1対1では勝てない。
だから1人に対して数をかけて守るのです。
その為、パスされたら、その選手に集まる。またパスしたら、そのされた人に集まるという事が必要です。
その為に、来る日も来る日も走り込みを行い持久力を付けたそうです。
技術を付けるには何年もかかる。でも持久力は数カ月で付きます。
そして迎えたアジア予選。
北朝鮮に勝てばアテネオリンピックという局面。
エースである、唯一の世界水準である澤穂希選手が足をケガして痛み止めの注射を打っていました。
完全に暗雲立ち込める状況でした。
しかし澤穂希選手はそれでも冷静でした。
相手選手にタックルをしてボールを奪います。
それで、彼女たちは思います。
勝てる・・・。
そしてアテネオリンピックに出場が叶うのです。
その後、DFの磯崎選手からの長い縦パスを受けてボンバー荒木選手が前線でもらいゴールを決めます。
まさに戦略通りでした。
女子サッカーの未来が開かれた瞬間でした。
2004年、ついに「なでしこジャパン」が発足します。
その頃、長谷川唯さんは思います。
絶対プロサッカー選手になると。
長谷川唯の成長となでしこの成長
「引用:https://ef3g.exblog.jp/17709332/」
しかしアテネオリンピックで、アメリカに大敗します。
「堅守速攻」では自分たちのサッカーはできない。
自分たちでチャンスは作れない。
なでしこには構造改革が必要だったのです。
大橋監督と、あの佐々木コーチの元で構造改革が進められます。
それからスライディング練習が増えたそうです。
スライディングとは1人でボールが奪える方法です。
それに手足の長い外国選手に小柄な日本人選手が勝つには足を伸ばすしかありません。
そして宮間あや選手などの上手い若手選手が招集され、澤穂希選手以外の世界水準選手が生まれていきます。
まさに強い「なでしこジャパン」が生まれて行くのです。
この頃の「なでしこジャパン」は当時、世界最高峰のスペインサッカーのような、パスを繋げる連動制のサッカーを始めていきます。
「攻守一体」です。
縦のボールを切り、ボランチとFWでボールを奪う。
普通サッカーではゴールから遠いサイドにボールを寄せます。
しかしこれではスローインになり、なかなかボールが奪えません。
だから中に集め、中盤で人数をかけて潰すのです。
そのためにはボランチでボールを奪う必要があります。
そのボランチにはあの澤穂希さんが入ります。
そして、2008年の北京オリンピックではベスト4を達成します。
そのオリンピック後、なでしこは世界一を目指し始ます。
世界水準の選手を多く抱えたなでしこ。
長谷川唯さんは、そんな先輩たちの姿をテレビで見ながら、その澤穂希選手も所属する日テレ・ベレーザの門を叩きます。
あの読売クラブです。
そこには”鬼”が住んでいました。
「調子に乗るなぁ!」「諦めるなぁ!」「ボールを見ろぉ!」「相手より走れ、相手より頑張れ」
怒号がピッチに響きます。
怖くて怖くて、よく泣いていたそうです。
「鬼軍曹」の異名を持つ寺谷真弓監督の元でプレーするのです。
夜は9時すぎまで練習し、その後居残り練習をして、帰宅は深夜。
そんな日々が中学生からずっと続いていたそうです。
技術面の指導はもちろんのこと、心の指導もされていたそうです。
同じミスを2回するな。
日テレ・ベレーザは常勝軍団。絶対に負けてはいけない。
ここでの教えが、間違いなく長谷川唯選手を世界水準へと押し上げていったと思います。
「引用:https://www.footballchannel.jp/2015/02/15/post71814/」
そして「なでしこジャパン」は2011年に誰もがご存知の通り、ワールドカップで優勝します。
中学生だった長谷川唯選手も朝早く起きて試合を見ていたそうです
そんな強い「なでしこジャパン」。
2012年ロンドンオリンピック銀メダル、AFC女子アジアカップ優勝と、「なでしこジャパン」は世界トップクラスとなりました。
澤穂希さんのワールドカップ6回出場はギネス記録となります。
しかし、澤穂希選手もいつまでも「なでしこジャパン」ではありませんし、世代交代はやっていきます。
苦しい時代を知らない選手たちが、「なでしこジャパン」の中心となっていくのです。
長谷川唯と新たななでしこジャパン
「引用:https://www.soccer-king.jp/news/japan/nadeshiko/20190410/926589.html」
2015年のワールドカップで準優勝に輝き、翌年にはリオオリンピックに出場します。
しかし結果は予選敗退となってしまいます。
澤穂希選手がボランチに入り、そこでボール奪取するサッカー。
澤穂希選手がいないと機能しないのか・・・。
監督も佐々木監督から初の女性監督となる高倉麻子さんが就任されます。
2013年になでしこデビューした長谷川唯選手はトップチームでメキメキと力をつけ、2015年ぐらいからレギュラーに定着し始めます。
そして2016年のシーズンでは32試合に出場し8得点も決めるのです。
その正確な縦パスは一気に最前線の裏へと送られ、一瞬のスキからチャンスへと早変わりさせます。
クライフターンや切り替えしなどのドリブルのテクニック、ヒールにスールと、会場がどよめきに包まれるテクニック。
まさにファンタジスタです。
そして、アイデアやイマジネーション、恐らく彼女はピッチに立ちながらもテレビカメラのようにピッチを見下ろしているのでしょう。
アイドルのフォーメーションも上から見ると綺麗だったりするんですよちなみに・・・。



そんな彼女が日テレ・ベレーザの中心選手となるには時間がかかりません。
そして2017年3月、アルガルヴェ・カップ2017でA代表に初招集され、3月1日のスペイン戦でデビューします。
そして3月3日のアイスランド戦で初先発します。
背番号17番。
右へ左へ、ゴール前の1列目に顔を出したかと思うと、最終ラインまで下がるという運動能力の多さ。
そして前半10分。
ゴールキーパーが前に出ているところを見逃しません。ロングシュート!
A代表、初ゴールです!
そして前半14分。
落ち着いたボレーシュート!
見事に前線に詰めていました。
ポジションは左サイドハーフです。
中に外にと縦横無尽ですね。
アルゼンチン代表のメッシーいや、元オランダ代表のクライフ並みに自由にフィールドを動き回っています。
後半23分、ドリブルからのロブボールでのパスも見事ですね。
2得点あげて、2-0で勝利に貢献します。
澤穂希さんや宮間あやさんというなでしこジャパンの中心選手が引退し、そんななでしこの苦しい時代、飛躍時代、直接栄光時代を味わっていない選手たちが加入してくるのです。
そう、苦しい時代は長谷川唯さんが生まれる前から物心がついたかついてないかぐらいですよね。
飛躍時代はテレビで見ていた頃なんですよね。
男子はドーハーを知らない世代が史上最高の代表となっていますよね。
香川選手や乾選手は辛うじてドーハを目撃したかしてないかの世代ですよね。
柴崎選手は知らないでしょうね。
でもそんな世代がロシアワールドカップで活躍しているのです。
きっと長谷川唯選手もそうなるのでしょう。
シュートフェイトでの切り替えし、相手を置き去りにするようなテクニック。
そんなファンタジスタな長谷川唯選手。
一瞬、西野七瀬さんがボールを蹴っているのかと勘違いしてしまうのは私だけでしょうか・・・。

そんな風に感じるぐらい似ている長谷川唯さんは可愛いですよね。
彼女は練習熱心でサッカー一筋と思われそうですが、実は今時女子なんです。
それは見た目からも感じられますが。
Tik Tokをしたり、インスタグラムやTwitterとSNS世代ですね。
朝から美容院行ってオシャレに気を遣ってるんですね。
それに彼女は膝上まで靴下を伸ばしてるらしいのですが、理由はなんだと思います?
サッカー選手だから足を冷やさないため?
その方がプレーしやすいから?
ではなく日焼けをしないようにだそうです。
そう、女子としての気遣いなんです。
ピッチでは戦うアスリートですが、一度ピッチを出れば今時女子なんですねぇ~。


長谷川唯の仲良しは!?
「引用:https://www.verdy.co.jp/beleza/news/8035」
そんななでしこのファンタジスタの仲良しは誰なんでしょうか?
それでは後半キックオフ!
長谷川唯と籾木結花は仲良し
「引用:https://www.soccerdigestweb.com/topics_detail9/id=59730&repeatCnt=3」
こちらは同い年でチームメイトでもあり、はたまたなでしこジャパンでも一緒である籾木結花選手です。
日テレ・メニーナ時代である中学1年生ぐらいからずっと同じチームでプレーしているんです。
2017年4月9日のコスタリカ戦で、長谷川唯選手のラストパスを受けてゴールを決めたのは、籾木結花選手です。
これが代表初ゴールで、しかもバースデーゴールだったそうです。
またプライベートでは”LINE”でのやり取りを良くしているそうです。
最終”ライン”の裏へと送る長谷川唯選手のラストパスを受けるのは籾木結花選手。
プレーでもプライベートでもナイスコンビネーションです。
長谷川唯と清水梨紗は仲良し
「引用:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190614-00010000-ananweb-ent&p=1」
こちらもチームメイトで、なでしこジャパンでも一緒の清水梨紗選手です。
長谷川唯選手と清水梨紗選手も同い年なんですねぇ~。
清水梨紗選手がケガで離脱したとき、長谷川唯選手は涙ながらに話していました。
梨紗の分まで頑張ると。
そしてその皇后杯で見事優勝したのです。
まさに仲間なんですねぇ~。
この世代凄いですねぇ~。
まさに黄金世代ですね。
ちなみに、アイドル界もこの世代は凄いんですよ。



長谷川唯と土光真代は仲良し
こちらはチームメイトの土光真代選手です。
Tik Tokとか今時女子ですねぇ~。
日の丸を背負っても、普通の女の子であることは変わらないんですねぇ~。
こちらの土光真代選手も同い年なんだそうです。
やっぱりこの世代凄い。
長谷川唯の仲良しはまだまだいるのです
「引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/matsubarakei/20190302-00116660/」
さてさて、長谷川唯さんの仲良しはまだまだいるのです。
ホイッスルまではまだまだ時間があります。
さあ、リスタートです。
長谷川唯と長野風花は仲良し
こちらはなでしこジャパンの長野風花選手です。
プライベートでご飯に行ったみたいですねぇ~。
彼女は長谷川唯選手より2つ年下の後輩なんだそうです。



そんな長野風花選手も参加していた、2018年にフランスで行われたU-20女子ワールドカップで優勝したんです。
ちなみ女子サッカーは各カテゴリーでワールドカップすべてで優勝しているんです。
これは世界見渡しても日本だけなんだそうです。
ちなみにですが、同じ名前の小芝風花さんは、長谷川唯選手の高校の後輩らしいです。
ちなみに元乃木坂46で、現テレビ朝日の斎藤ちはるさんは同級生らしいのです。

長谷川唯の友達まとめ
「引用:https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin-2020/「若く優秀な才能の一人」fifa公式がなでしこmf長谷川唯を特集…自身のロールモデルは%EF%BC%9F/ar-AAAYno6」
苦しい時代を経て、黄金期を迎えたなでしこジャパン。
しかし、その世代がいなくなり、苦しい時代を知らない世代が中心となってきています。
長谷川唯選手はそんな時代のなでしこジャパンの中心選手なんですねぇ~。
サッカーが大好きで、一心不乱に頑張る努力家である彼女。
でもオシャレで今時な女子なんです。
そんなファンタジスタである長谷川唯選手の仲良しは、
籾木結花選手
清水梨紗選手
土光真代選手
なんですねぇ~。
新時代のなでしこが躍動する。
栄光を再び。


